不登校の子を持つ親に寄り添って20年。親子支援ネットワーク♪あんだんて♪

vol.1~3 通信8号~10号

Let's go to the cinema!!~僕の愛した映画たち~ 

雨に唄えば(通信8号掲載)

 学校を休んでいると、映画を見る機会が増えたりしませんか?もちろん、全く見ない人もいるでしょうが、暇な時間を映画に費やすようになったという人も結構いるのではないでしょうか?僕も学校を休むようになったことをきっかけに、映画を見るようになりました。最初の頃は見る映画のジャンルも非常に狭かったのですが、映画好きの父の影響もあって、今ではドラマ系からアクション系まで、どんなジャンルの映画も見るようになりました。
 しかし、周りに映画の好きな人がいないとか、好きなタイプの映画がわからないという人も多いのではないでしょうか?そんな人にも見ていただきたい作品、おすすめの作品を、今まで見てきた映画の中から、偉そうながらもご紹介したいと思います。

 まずもっとも好きなジャンルはミュージカル映画です。「『見る』という動作と『おもしろい』『楽しい』という感情が同時に体験できる」というのが好きになった理由ですが、今回はその中でも生涯これ以上すばらしい作品には巡り会えないだろうという作品をお薦めしたいと思います。名作ミュージカル「雨に唄えば」です。
 今から50年前ほど前の映画ですが、未だに大変人気のある作品です。「雨の日に、男がびしょぬれになりながら楽しそうに唄い歩く」という有名なシーンはご存じの方も多いでしょう。このシーンを筆頭に、この映画には楽しいミュージカルシーンがたくさん詰まっています。
 個人的に好きなのは、主人公の男の親友「コスモ」が妙な踊りを見せるシーン。この場面もそして他のシーンも見ているだけで楽しさが感染してきてしまいます。まさに「サイコー」なわけです。
 この映画のストーリーはとてもわかりやすくなっています。1920年代の映画界。「たくさんの映画に関する新たな『道具』」が進出してくる中、もっとも映画界を激震させた「トーキー(有声)映画」の登場によって起こった混乱を、コミカルなタッチで描いたというもの。ちなみに出演者は主役の映画スター「ドン」を演じたミュージカル映画の大スター、ジーン・ケリー、その親友役「コスモ」はドナルド・オコナー、ドンの恋人になる「キャシー」はデビー・レイノルズです。
 こういったキャストたちにも非常に魅力があるのですが、もう一つの魅力が「ユーモア」です。ミュージカル映画といえば「唄って踊る」というイメージがあるかもしれませんが、この映画はそれと同じくらい、その「ユーモア」が魅力的です。この映画の「ユーモアセンス」、「テンポ」には本当に感心させられてしまいます。特に「踊る騎士」の録音シーンは何度見ても色褪せることのない、まさに名シーンと言える出来でしょう。
 これまでにたくさんの映画を見てきたのですが、これほど心躍る作品はありませんでした。雨の日や、暗い気分の日に見ることをおすすめします。

クレヨンしんちゃん「嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」(通信9号掲載)

「懐かしいって、そんなにいいものなのかなぁ」。
この映画に登場する台詞の一つである。「子どもアニメ」と呼ばれる映画の台詞にしては、あまりにも意味が深い。実はもともと「映画クレヨンしんちゃん」シリーズは少し異質なもので、「面白ければいい」ということをモットウに作られている。だからこの映画シリーズには「大人向け」も「子ども向け」もない。そのことはテーマに「ノスタルジー」が使われているということだけで分かる。なぜなら「懐かしい」という気持ちは、楽しかった思い出がある人間だけが感じるものだからだ。つまり「大人」である。

 物語のあらすじはこうである。「春日部に出現した『20世紀博』。大人たちは20世紀の懐かしさにすっかり魅了されてしまう。この春日部に住む野原家の父『ひろし』、母『みさえ』も論外ではなかった。ある日、大人たちは20世紀博から迎えにきたトラックに乗って姿を消してしまう。すべては20世紀博を取り戻すために活動する『イエスタディ・ワンスモア』の罠だったのだ。そこで野原しんのすけを含む子どもたちは大人を取り戻すために立ち上がる」といった具合だ。子どもたちが活躍するストーリーはいわば「子どもアニメの定番」。しかしこの映画に描かれているものは本物「実写」である。

 この映画は実にコミカルに進んでいく。簡単に言えば「ギャグ満載」である。そこにはいつものギャグアニメとしての形がある。しかしこの映画には、所々に映画版ならではのしっかりとした演出が施されている。その中の代表的なものは、「大人の視点」だと思う。この映画は基本的には「子どもの視点」で描かれている。しかし制作者はもちろん大人たち。大人が表現し描くからこそ出る「大人の視点」がこの映画の魅力だ。それは特にクライマックスのひろしの回想シーン、セリフの数々に生かされている。
 そして極めつけはこの映画の「懐かしい」の部分。特に素晴らしいのは昭和の町並み。17歳である私は、このような昭和の風景を実際に目にしたことはない。それでもこの風景に懐かしさを感じた。特に商店街のシーンでは、知らない町並みが、昔行ったことがある気がしてならなかった。そしてたたみかけるように、バックには昭和の名曲「白い色は恋人の色」。人々の生き生きとした姿、少し古い建物、そして夕日に音楽。このシーンはそのすべてがしっかりとマッチしていた。
この映画にはいっさい妥協がない。映画として、アニメとして、しっかりと完成されたものになっている。そして文頭に書いたセリフの私自身の答えはこれである、「やっぱり『懐かしい』はいい」。でも改めて感じたこともあった。「やっぱり未来を生きたい」ということ。そしてこの映画に登場する野原一家は実在しないが、描かれた「家族の絆」は間違いなく『本物』であるということ。

俺たちに明日はない(米・67年公開)(通信10号掲載)

 あらすじ・・・ウェイトレスのボニーは、母親の車を盗もうとしていたクライドと出会い、2人は意気投合。2人は度胸試しに犯罪を始める。途中、青年のモスとクライドの兄バックとその妻ブランチが仲間に加わる。その後、彼らの行動はエスカレートしていく。

 この映画は60年代を代表する作品でもあり、ハリウッド映画の全く新しい形を示した作品でもある。この新しい形は「アメリカン・ニューシネマ」と呼ばれ、それは当時の映画界には衝撃的な出来事であった。
 そして、映画界。映画協会などは保守的な態度であったものの、この作品は批評家や映画ファンからは圧倒的に高い評価を得た。しかし近年、この映画に対する評価は、以前ほど高くはない。というのも公開当時に鑑賞した人の評価は相変わらず高いものの、近年この作品を鑑賞した人の評価は決して高いとは言えないのである。どうしてそう違うのだろうか?しかしそれは理由を聞いてはっきりした。近年見た人の半数近くの人が、「共感できない」と答えていたのだ。
 では、ここ1年の間に観た私が「共感できなかったか」というと、多少表現は変わるが、これが見事にド直球だったわけで、最近の映画ファンの評価を見て愕然とした。というより驚いた。「ここまで昔と今で評価が違うことがあるのか」というのが、その時の気持ちの90%ほどを占めていたが、その反面それが面白いとも思えた。「どこが面白い?」と聞かれても、口では説明しにくい。先ほど上げた「共感できない」というのもよくわかる。でもわかってもやっぱり、好きの方向に行く。それはこの映画のキャラクターたちは、犯罪を犯していても、私はこの人物たちに哀愁を感じざるを得ないからだと思う。
 軽快なストーリーもいい、でもそこにはやっぱりむなしさややりきれなさがある。音楽も映像にも、同じように衝撃とともに何かすっきりしないものが胸に残る。それが面白いと表現できるかはわからないけれど、少なくとも好きな作品である。
 不思議な映画だと思った。この作品は好きなのに、それをどうやって文章でつづればいいのかわからない。でもそれが私にとっては最大の魅力なのである。

 今回、昔と今の批評を比べたが、もちろん、昔低い評価をつけた人がいれば、今、高い評価をつける人もいる。ただ作品の観方は昔と今とでは違っていると思う。当時の衝撃を今感じるのは、とうてい無理だろう。もっともそれが、この作品の宿命のようにも思えてくる。
 そもそも、これほどまでに時代によって評価が大きく変わる、ということこそが「傑作」というのに相応しいのかもしれない。

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