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通信28号(2007年11月発行)掲載「学校とは」

「学校とは」 通信28号(2007年11月発行)掲載

「十学校十色」

 不登校について考える場合、どうしても学校を中心にして考えがちであると思います。例えば、「学校に行っている子どもは、こうしている」とか「学校では、今こうである」とか。確かに、不登校とは「学校に行かず」ということを表す言葉であるので、このように考えてしまうのは仕方がないかもしれません。しかし、学校について色々な経験者の話を聞くと、学校を意識からはずしている時期があった人が多いことに気付くでしょう。では、何故このように学校の事を意識しない時期があるのか、ひいては、学校についてどのように考えることができるのか。今回は、「学校」に対する意識について書きたいと思います。

 私は、高校一年で学校を辞めています。もっとも、学校に行くのが嫌になり始めたのは、中二くらいからだったので、辞めた当時には学校に対する嫌悪がかなりふくらんでしまっていました。不登校になってすぐの時期は、朝学校に行く子どもを見るのも嫌だし、学校関係のテレビを見るのも嫌でした。私は大検を受けており、その時には中退した高校に書類を取りに行かなければならなかったのですが、近づくことが嫌だったので母親に取りに行ってもらった記憶があります。

 その時期の私といえば、一応勉強はしていましたが、学校が嫌いであったため、どうしても学校と密接に関連する勉強は嫌々ながらという感がありました。そのような状態だったので、勉強をする際にもいつも集中力を欠いていたような気がします。

 そのような時期が続いたある頃、私はひきこもりの子ども達が集まる場所に行きました。そこは学校とは無縁な空間でとても居心地が良かったのです。私はそこで友達を作り、何も勉強せず、ただ遊びまくりました。そうこうしている間に、ただ遊んでいる生活には人生の張りを感じず、また勉強しだしました。それまでとは異なり私は集中して勉強できるようになり、大学に入学した頃には、勉強をすることが楽しく、それに伴って徐々に学校を受容しだしました。現在ロースクールに通っていますが、勉強と学校共にどっぷりはまり楽しんでいます。

 私はこのような経過を辿ったのですが、学校について考えるとき、最も重要だったのは、さんざん遊びたおして学校を気にしなくなった時期であると思います。その時期には、学校を嫌悪の対象として見るのではなく、客観的に見ることができるようになり、自分の中で学校の意味を再構築していったような気がします。

 学校に行かなくなった当初は、学校に対する気持ちはなかなか制御できないと思います。しかし、学校という意識を一度はずして考えてみると、今まで見えなかったものが見えてくるようになります。そのような状態に至ったときには、学校に支配されるのではなく、学校を支配しようとする自分が出てくるものと思います。ここでいう支配とは、学校を自分に合うように使えるという状態です。その考え方に至ったならば、学校にとらわれないように生きるのもいいですし、自分の中に学校を取り入れていくのもいいと思います。

 そもそも、不登校というのは生き方の問題です。とすれば、現在の子ども一般に言えることとして学校は重要なファクターなのかもしれませんが、あくまで一考慮要素であって、学校を中心としてものを考える必要はないものと思います。

 不登校の子どもが十人十色であるように、学校も十学校十色です。自分に合った学校の種類(通信制や定時制というだけでなく、専門学校、大学等学ぶ場所という性格をもつもの)や付き合い方があるものと思います。自分の中で作り上げた学校像に縛られることなく、一度学校を客観的に見てください。そうすることによって、不登校の問題に関し学校を軸に考えるのではなく、人生を軸として考えることができるようになると思います。(Q)

「「学校とは?」  

 自分にとっての学校ってきっと「一度離れたからこそ分かることもあるんだろうな」と思って、この10年近くの記憶を掘り返してみました。そして実際に記憶をたどっていくと、学校と離れていた時期でさえも、必ず学校って存在は常にそばにあったんだないうことが分かってきました。

 学校に行っていた頃。学校は生活の半分でした。当たり前のように学校に行って、それがたとえ嫌だとしても義務のようなもので決して逃れることはできないと思っていました。実はボクの場合は「本不登校」になる前に「仮不登校」をしていた時期がありました。これは小学校2年の時ですね。なぜだったのか分かりませんが、学校に行くのが嫌で、玄関で毎日のようにしがみついていたことを覚えています。その時は、親に連れて行かれたし、自分でも子どもが学校に行くことは当然だと思っていました。

 それから3年後の小学5年生の秋。運動会が終わって少したった頃、学校に行くことが苦痛になり、しばらくは昼からだけでも行っていたのですが、結果的に行かなくなりました。その時は家族も認めてくれていましたが、内心は穏やかだったとは言えませんでした。なぜなら休んで間もない頃はやはり学校に行くことが当然だという概念がまだあったからです。そんな気持ちからなのか、家にいるときは、部屋中の窓を全部閉めきっていました。何ならカーテンも閉めたい気持ちで。これは単なる罪悪感からだけではなく、恥ずかしいことだとも思っていたからの行動だと思います。そんな中、父も母も僕を連れ出そうといろんな場所に誘ってきました。徐々に、免許とりたてのぎこちない母の運転で平日に買い物に出たり、図書館へ行くようになったり、父と休日にスポーツをしに行くようになり、その生活スタイルは変わりはじめ、それなりに学校との距離が離れていきました。それぐらいからでしょうか、学校に行かなくてもという気持ちが現れたのは。

 中学を卒業する頃には、すっかり不登校生活にも慣れ、それはそれは快適な生活を送っていました。と同時に学校というものが自分の中からすっぽりと抜け落ちていました。ただ、学業に対する不安と家族に対しての後ろめたさがあって、自分が再び学校というものと向かい合わなければいけないんだと思いました。そして、学校に復帰することになりました。

 それからどうにか高校卒業を目前にして、大学という存在が目の前に現れました。それがあまりの早さで流れていくので、一年目はリタイアしてしまいました。でも、休んだ一年のおかげで大学に行こうと決心しました。気持ちは不安や恐怖なども混ざり合って1つにはなっていませんでしたが、ただ、心の隅の隅で思った願いがあります。学校生活を、最後には好きになって終わりたいということ。

 そしていま・・・やっぱり学校は好きじゃありません。自分の好きなことやらせてもらってはいるけど好きじゃありませんね。好きな授業はちょっとずつ増えてきましたが。そういえば、高校に入るとき、考えていたことがあります。この4年半のインターバルの間に学校って変わったのかなということ。結果は、やっぱり変わっていました。小学校から高校にとんだからということもあるでしょうが、もっと他にも時の流れで変わったというのに近い変化も感じました。何が変わったのか、それはよく分かりません。あえていうなら、空気とか匂いのような。でも、これってもしかしたら、学校が変わったんじゃなくて、自分の意識が変わったのかもしれない、今はそう思います。だから、学校という1つの単語にすべてを集約するのは難しいんだろうなと、思えるし、そう思いたいです。なぜなら変化がなければきっと、いろんな「あの一歩」から先に進まなかったと思うから。(naoki)

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