不登校の子を持つ親に寄り添って20年。親子支援ネットワーク♪あんだんて♪

通信30号(2008年3月発行)掲載「勉強」

「勉強」 通信30号(2008年3月発行)掲載

勉強が将来何の役に立つのか?

 今回の『Q憩+N』のテーマは勉強です。子どもが「勉強は将来何の役に立つのか?」と聞かれたときにどう答えるのかということです。親としても、このような疑問が出されたときになかなか答えがたいものであると思います。親として答える代表は「勉強は子どもの仕事のようなもの」などが考えられますが、子どもの心には届いていないでしょう。
ただ、これに対する解答はそう簡単な事ではありません。そもそも、私自身はやる気が出たら勉強はすると思っており、学校において行われている勉強だけが勉強であるとも思っていないので、答えは「分かった、じゃあ無理してやらなくていいよ」だと思っています。ただ、これは後で困ることが目に見えている答えなので、「でも、こういう困ることがあるよ」と説明することで、多少勉強を促すことはできます。では、どのように説明したらいいのでしょうか。私自身の言葉も届くかどうかは分かりませんが、今回はこのことについて、書いてみたいと思います。

 私は現在法律家を目指しています。その将来のために役に立った勉強といえば、文章を書くことだったと思います。また、法律家は広範な常識を必要とされますから、一般的な勉強の基礎は不可欠であったでしょう。さらには、税法を専門にしようと思っているので、数字に慣れるという意味で数学はもっと勉強しておけばよかったといまさらながらに後悔しています。
 では、まだ法律家を目指していないとき、自分の将来に役に立つ勉強の範囲を明確に意識することはできたでしょうか。この答えは明らかにNOです。自分のなりたいものが明確に定まっていない時点で、将来に役に立つ勉強だけをするのは不可能です。
 では、逆に将来の役に立つのが分からないから、何も勉強しないという選択肢はいいのでしょうか。私はこれもいけないと思います。なぜならば、私が法律家を目指したのは様々な勉強を経て、自分との相性から考えて得た結論であり、日々の勉強で視野を広げ、将来の可能性を広げようとしていたことなしには法律家を目指すことにはならなかったと思うからです。

 そもそも、勉強とは将来に役に立つか立たないかでするかしないかがの判断がされるべきものなのでしょうか。私はそのようには思いません。なぜならば、自分の将来など分かるものではないからです。今将来の目標を明確に持つ私でさえ、その目標が達成するかどうかは分からないことを考えると、どの勉強が役に立つのかはっきりと言い切ることはできません。とすると、何故勉強するのかと言われれば、将来の可能性を広げるためだと言わざるを得ず、勉強しないと将来の可能性を狭めるかもしれないと言うのがベターなのだと思います。

 振り返って考えてみると、不登校の子どもは自分を守るため、自分の将来を壊さないために不登校という選択をするのではないでしょうか。その判断は確実なものではなく、将来の不安いっぱいで不登校を選択せざるを得ない状況にあるのだと思います。この観点は役に立つか立たないかという話ではないことを考えると、勉強に関しても役に立つかという観点が不登校の子どもと親和性をもっているのかどうかには疑問があります。とすると、勉強は将来役に立つからする、しないという根本問題に目を向けてみるのも一つの方法だとは思っています。(Q)

勉強とは・・・

 学校に行かなくなった当初、大きな不安が3つあったことを覚えています。一つ目は、これから先のこと。二つ目は、友達のこと。
 そして、三つ目は、「勉強」のことでした。そんな不安から逃れたいという気持ちや、学校に行ってないことに対する親への後ろめたさ。それが僕を机に向かわせていました。通信教育のドリルや学校の教科書を開いては、一人で勉強する日々が続きました・・・。最初の一ヶ月ぐらいは。いや、一週間かな・・・。期間を良く覚えてませんが、要は長続きしませんでした。めんどくささが背徳心を上回った結果だと思います(すごく早く結果が出ましたが)。
 その後、家庭教師の先生に来てもらっていたこともありましたが、時間の半分はしゃべっていたし、勉強の中心になっていた英語も、最終的に基礎の部分が終わっていないような状態で高校に入りました。つまり、学校に行ってなかった間、勉強という勉強はほとんどしてこなかった身である訳なのです。

 ですが、学校に行っていなかった間、ほとんど何も学ばなかったかと言えば、それは違います。
 毎日の生活の中で得た知識はたくさんあります。ニュースは学校に行かなくなってから見るようになったし、ゲームの攻略本や漫画においては文字を読むことをしいられ、自然と新しい言葉を覚えていました。つまり、学校での勉強とは違った視点で知らぬ間に学びを繰り返していたのです。それも、今になって分かることですが。 
 今現在はインターネットが僕の頃よりもずっと一般的になっています。インターネットの力はホントに膨大です。それを最近、身近ですこぶる感じさせられるので間違いありません。もちろん間違った知識も氾濫していますが、好きなものを探求して行く中で覚えていくことはたくさんあるんだと思います。ゲームや漫画やファッションなどの知識もまた同じように日常から得る知識なのだと思います。

 こうしたことを「勉強」と言えるのかどうなのかはわかりません。でも、何かを知って楽しいとか感動するとか影響されるとか、そういうことって何かを学ぶきっかけだったりするのではないでしょうか。僕も実際、学校に行っていなかった時に多くの映画を見て勉強できたから、映画のことをより勉強したいと思うようになりました。いわゆる「勉強」は確かに将来を決める上で重要なことかもしれません。でも、何を学びたいのか、何を学ぶ必要があるのか、なぜ学ばなければいけないのか。そんなことにぶつかってしまうと、勉強することが苦痛になってしまうものです。
 しかし、今は「勉強」することに時間も、場所も、方法も限りはありません。僕も高校で中学の勉強をしましたし、仕事をしながら学校に通う人がいるくらいなんですから。少し立ち止まってみて、何か勉強をするきっかけがくるのを待ってみたり、探してみるのも良いのかもしれませんね。(Naoki)

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