不登校の子を持つ親に寄り添って20年。親子支援ネットワーク♪あんだんて♪

通信32号(2008年7月発行)掲載「今だから言えること」

「今だから言えること」 通信32号(2008年7月発行)掲載

今だから言えること

 親の方からは「どんな言葉を言って欲しかったですか」とか「どんなことをしてほしかったですか」などの質問を受けることがあります。この時、私としては「そういえば、大学進学を悩んでいるときに、『そんなことで悩んでいてどうするの』という言葉を言われて辛かった」など、多少思いつくことはあるのですが、それをうち消すかのように思いつく言葉があります。それは、言って欲しかった言葉ではなく、私から言いたい言葉「ありがとう」と「心配かけどおしでごめん」です。この答えに、親の方は「答えになっていないのではないか」と思われるでしょう。では、何故これが答えになりえるのか。この言葉がでる背景には何があるのか。それを今回は書きたいと思います。

 私の不登校最初期は、ほぼひきこもりのような生活をしていました。昼頃には起きては、家族に挨拶して、そのままテレビやゲームをしながらずっと家で過ごし、夜は時々、母親に話を聞いてもらったりしていました。私が語り出したら、母親はちゃんと聞いてくれ、時々は嫌なことを言われ、喧嘩のようになったこともあります。嫌なことを言われたときは、「なんて母親だ」と思ったときもありましたが、それでも、結局は母親に色々悩みを聞いてもらいました。私の母親は我慢強く私の話を聞いてくれていました。
 ほぼ家の中にいる不登校の子どもは、社会が極端にせまくなっています。人間は「『人の間』で生きる存在」ですから、誰かと接することは重要であると思います。確かに、私にも人との関わりを全く途絶する期間があり、その時も重要であったとは思いますが、それも人との関わりの重要性を再認識する期間であったような気がします。
 例えば、学校に行っている子どもは学校という他の社会がありますから、家で起こったことなどは、学校という他の社会で解決することもできます。しかし、家族以外に社会を持たない子供はそれをすることができません。親に対する不満も、親に言いたいからというよりも、他にはき出す場所がないから、親にするしかないのです。そのような子どもに対し、親の方は本当に受容し、話を聞いてくれているのですから、今思えば何をして欲しいと言うよりも、「ありがとう」という言葉しか思い浮かびません。

 言って欲しかったこと、言って欲しくなかったことをあげればきりがないものと思います。例えば、ある時に、きついことを言われて立ち直るきっかけにした人もいれば、逆にきついことを言われてしまって落ち込んだ人もいるでしょう。何時いうか、何をいうか、どの程度言うかに一つの正解はなく、親と子の関係性の中で適宜決めていくしかないと思います。私の場合には、その適宜に決めるということが成功したこともあれば、失敗したこともあり、それが結局「言って欲しかったこと」等になるものだと思います。ただ、これは本質的なことではありません。
 では、何が本質的だったのか。それは、私の母は常に私に向き合ってくれたことです。私が何をしようが、見捨てず、あきらめず、ただ私と真剣に向き合ってくれていました。この態度を貫き通してくれたことに、私は「ありがとう」と「心配かけてごめん」と心から言いたいと思います。そして、この態度はすべての細かなして欲しかったこと、言って欲しかったことを超えるものがあると思います。
 私は親の方には細かいことはあまり気にしないで欲しいと思います。子どもに対してしたこと、言ったことは自分なりに子どもに向き合って出した答えの結果であると思います。そして、その向き合ってくれていること自体が子どもの望みであると思うからです。(Q)

 いまだから親に言えること

 今だから言えることは、結構本人達に話してしまってるんです。ただ、そういう話が出来るようになったのは最近で、笑い話に出来るぐらいの時間がたったんだなと。そう思うと感慨深いですね。当時は絶対に言えなかったこともたくさんありますし。

 ・「あんな小さい子でも行ってるのに」

 僕は小学校5年生から中3まで学校にいってなかったんですが、実は小学校2年生の時に「不登校もどき」みたいな状態の時があったんです。その時期のある日に言われた一言がこれです。玄関の上がりかまちで行き渋ってた僕に、玄関先の僕より小さな男の子を指して言った言葉ですね。
 こ・れ・は印象的でしたね~(笑)というか、結構深い傷でしたね。「あれはショックだった」と告白したのが2年前でしょうか。やっと言えましたね。そして今や笑い話に。あの頃よりも世間を知った今の僕は「まあね」って思いますけど。小2の頃は親のことが怖かったし、学校に行かないっていう選択肢が、自分の中にも、親にも、世間にもあまり無かった時代なんでしょう(約13年前)。だから、親も僕もどうしようもなくて。親もどうしたらいいのかが分からなかったんだろうなと思います。

・「おなかがいたい」

 こんどはわたくしの懺悔です(笑)小5からの本不登校時代初期の話です。不登校というより、さみだれ登校時代の話ですが、毎朝登校時間の15分前ぐらいに、風呂場掃除をしている母に「おなかがいたい」と言いに行くのが習慣になっていました。要は「休みたい」アピールだったわけです。これは今になって軽く自己嫌悪になりますね。それは実際に学校に行くと、あるいは行こうとすると体の不調が出る人がいるからです。そうです、僕の「おなかいたい」は作戦でした。この話をというか懺悔が出来たのも最近です。でも、普段は熱が出る以外は絶対に休ませてくれなかった母に、それでも「おなかがいたい」と言いに行っていたのは、自分を守ろうとしていたのかなと。そう思うと、あの頃はあの頃なりに必死だったんだと思います。

・「感謝」

 今だから言えることって、数え切れないほどあるんですけど、良い意味で今だから言えるというのは感謝の気持ちですかね。まあ、いろいろありましたけど。いいこともわるいことも。僕も嘘はつきまくっていたし、親も同じじゃないのかな。秘密とか後悔とかも、同じように積み重ねてきたんだと思うんですよ。でも、だからこそ、今だから言えることがあるってことは歴史があるからなんです。でも、ホントによく付き合ってくれたなと思います。色々考えてくれたんだろうし、色々提案してくれましたし。それは感謝です。

 ここ何年かで、親と当時のことを話せるようになりました。シンポジウムに出て話したり、こうして体験談を書いたり出来るようになりました。こうしたことって、確かに自分の中で不登校が過去になりつつあるから出来ているのかなと思います。でも、もし終わってしまっていることなら、こうして対峙することって出来てないんですよね。人生は長い一本道です。それから、これからも、「今だから言えること」が増えていけば良いなと思ってます。そして笑い話に出来ればいいなと。自分の生きた証ですから。(Naoki)

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