不登校の子を持つ親に寄り添って20年。親子支援ネットワーク♪あんだんて♪

通信33号(2008年9月発行)掲載「自立について」

「自立について」 通信33号(2008年9月発行)掲載

人格的自立と経済的自立

 子どもが不登校になった場合、一般的には親は学校に戻って欲しいと思うでしょう。学校はいくべきものという観念もあるからでしょうが、その根底には学校に行かなければ自立できないのではないかという心配があるからだと思います。この心配は親としては当然です。なぜならば、子どもの世界の中で、学校はかなりのウェイトを占める社会との接点なので、その社会に交わっていないのは、そのまま社会の中で生きていけないのではないか、つまりは自立への心配に繋がると思うからです。
 私は不登校問題は結局のところ、人生の問題であると考えており、学校に行くかどうかは表面的な問題で、自立できるかどうかが一番の問題であると思っています。例えば、学校に行かなくても自立できるなら、親も子も悩みは激減するのではないでしょうか。
 もっとも、この自立という言葉はよく考えてみるとどのような状態になれば自立といえるのかははっきりしません。しかし、自立を最終目標と設定するならば、どのような状態が自立といえるのかについて多少なりともめどがついていた方が親も子どもも楽になると思います。
 そこで、今回は私が考える自立を述べ、親の方や子どもが自立を考える上でのたたき台になればなと思って書きたいと思います。

 私は、不登校になった当初、自分のことは一人ですることを自立と思っていました。しかし、信頼できる主治医や友達を見つけ、その人達と交わる中で、その人達に助けられながら生きていくのも自立かなと思い始めました。孤立するのではなく、人と交わることで精神的に安定できたのです。
 この経験から、私は自立とは、「適切な程度に人を頼って生きていくこと」(以下、人格的自立と略)だと思っています。頼っていくことを前提としている点で、「本当に自立と言えるのか」と思う方もいるかもしれません。しかし、我々が社会で生きていることを考えると、社会とは人のつながりによって形成されているのだから、当然、人との関わり合いが必然的に発生し、その関わり合いの中ではお互いが頼ったり頼られたりするものだと思います。つまりは、誰にも頼らないで生きていくことなど不可能であると思うのです。そして、頼ることを前提に考えると、お互いが支え合うという意味で、その人との関係においてどのくらいの頼り方、頼られ方が適切かを考えればいいものと思います。
 あと、自立で問題になるのは経済的自立です。社会で生きて行くには、金銭が必要であり、そのためには仕事をしなければなりませんから、仕事をするのも自立の一内容だと思います。

 では、経済的自立と人格的自立のどちらを優先すべきなのでしょうか。私は、経済的自立は人格的自立の後に目指すべきものであると思っています。なぜならば、経済的自立を支える仕事は、社会の中で行うことであり、その社会は先ほど言ったとおり人との関わり合いを前提としているからです。
 私の場合、人格的自立を結果的に優先させましたが、今はよかったと思っています。なぜならば、バイトをしたときなど、もし、人と関われないまま仕事をしていたら、多分、上手くいかなかっただろうなと思えたからです。

 自立とは、人にそこそこ頼っていくことです。これは、自分の子どもが頼ってくることに関し、とまどいを覚える親の方へのメッセージです。頼られること自体を拒否するのではなく、頼られ方をコントロールする視点が重要になると思います。また、子どもは経済的自立よりも先に人格的自立を目指すべきです。これは、早く経済的に自立しようと焦っている子どもへのメッセージです。人との関係性を適切に保てるようになれば、仕事を始めてもなんとかやっていくことができると思います。(Q)

自立とはなんぞや・・・?

 意識してみると、実によく聞く言葉ですね。なのに、僕とは未だに結びついてこない言葉であります。自立するというのは、当たり前であって、していないことの方がおかしいと言うのが世間一般的な考えですが、僕の中では未だに正体が不明です。経済的な自立については分かりやすいですし、ボクも未だにすねかじり中なので、今回は精神的な自立について話したいと思います。
 
 僕の周りには、僕が感心するような生活を送っている人がいます。その人達は実家で生活をしているけどバイトも勉強も頑張っている人もいれば、一人暮らしをしていても学校をサボって遊んでいる人もいれば、あるいは、バイトを凄く頑張ってるけど勉強しない、またその逆のパターンもあります。まあ要は、いろんなタイプの人がいるわけです。それを、僕はいつもまぶしそうに見ています。
 あるいは、不登校の子にもスゴイなっていう人はたくさんいて、自分の考えを持っていたり、没頭できることを見つけていたり、あるいは見つけようとしていたり、誰かのために頑張ろうとしていたりという人もいます。 
 僕には自立って言う言葉の意味が今ひとつ理解できていません。それを前提として、改めて疑問に思います。自立ってなんなんでしょうか?

 先ほど例に挙げたように、僕の周りには尊敬するような人がたくさんいます。もちろんそれは、学校に行っている、行っていないは関係ありません。自分のやりたいことや好きなことを持っている、あるいは見つけようとしている人たちです。また、あるいは見つけたい!とイライラしてる人たちです。ホントはこうやって悩んだり、考えたり、ときにサボってみたり、休んでみたりすることこそ「自立」なんじゃないかなと思います。

 精神的な自立って、実は昔からやってたんじゃないですかね。例えば、僕の場合ですが、学校を休んでいたとき、家の中ではたいしたことをしてませんでしたが、絵を描いたり、TVを見たり、ラジオを聞いたりしていました。ホントにたいしたことはしていませんでしたが、これらの行動は自分で考えて、計画をして、実行していました。例えば、何時まで絵を描いて、それからTVを見ようといった具合です。僕は人生において必要とされる精神的な自立って、この延長線だと思うんです。それに大人だって、時に人を頼りますよね?ある映画のフレーズを引用すると「一人で生きてきたと思うヤツは、おとなになる資格なんてない」ですね。

 そもそも、すべて自分一人で出来るようになる必要があるのかも分かりません。また、それを自立と言うのかも。ホントに自立ってなんなんでしょうか?ボクの中でも未だ正体不明です。 (Naoki)

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