不登校の子を持つ親に寄り添って20年。親子支援ネットワーク♪あんだんて♪

通信34号(2008年11月発行)掲載「第三者について」

「第三者について」 通信34号(2008年11月発行)掲載

第三者について

 あんだんてに関わっている親の方なら共通の悩みを持つ第三者との関わり合いの重要性は、分かっていただけると思います。あんだんてのスタッフやあんだんてに集う人々、つまりは、不登校という共通の悩みを持った第三者と語り合ったりすることでどれだけの癒しを得ているのかは言葉にできないほど貴重なものであると思います。しかし、このことは親だけではなく、子どもにとっても同じ悩みを持つ第三者の存在はとても貴重なものとなりえます。ただ、これは不登校という悩みを持つだけでなく、ただ家族以外の第三者というだけで貴重なものです。
 私自身、自分の不登校と向き合っていく上で、第三者との関わりが合いが非常に貴重なものであったと思っています。そこで、今回は不登校における第三者との関わり合いをテーマに少し書きたいと思います。
 私の場合、不登校の初期の頃は、第三者、特に不登校という同じ悩みを持つ第三者を否定していました。自分が独りでもやっていけるという思いもあったのでしょうが、今考えてみると自分が不登校であるという自分から見た負の部分を認めたくないので、不登校の子ども達とは関わらないと思っていたのかもしれません。どちらにしろ、自分の少しまがったプライドから、第三者と関わることを否定していました。
 しかし、私の母は早くから不登校の悩みを持つ第三者と関わり合いを持っていました。そこから、様々な情報を得て、癒されていることが子どもの私にもなんとなく分かっていました。
 第三者を否定し続けていたのですが、上手くいかなかったので、私は煮詰まった状態で第三者を求め始めました。最初は、不登校の集まりに顔を出し始めました。最初は、自分から心を開くことはなく、一定距離を保っていたような気がします。次に、自分からカウンセラーを選びました。そこで、私は自分の過去、今悩んでいることをすべて話すことができ、人に話す大事さを覚えました。そして、ひきこもりの人の集まりで、以前のように一定距離を保つのではなく、できるだけ自分を出せるように振る舞っていました。そこからだったと思います、私が楽になっていたのは。
 私が考えるに、第三者は、自分に別の世界を与えてくれるものだと思います。不登校の子どもはあまり家を出ないので社会といえば、家族になってしまう傾向があります。この場合、家族以外に社会がないので、自分の身のおきどころは家族の中だけになってしまいます。
 しかし、第三者がいれば、その第三者も社会の一部であるので、家族だけが社会でなくなり、家族を相対化して見ることができます。家族の影響力が絶対的なものではなくなると言った方がいいかもしれません。そうすると、家族の事で落ち込んだとき、第三者と係わることによって自分を癒すことができます。また、これは逆の場合もいえて、第三者の事で落ち込んだとき、家族で自分を癒すこともできるようになります。第三者がいることによって、家族の大切さを再認識することもできると思います。
 このように、親の方と同様、子どもにとっても第三者の存在は大切なものになりえます。つまりは、親の不登校における実体験が、子どもにもそのまま通用するわけです。
 そこで、私は親の方には機会があれば、親の立場としてではなく、不登校という悩みを抱える同志の立場として、子どもに第三者の重要性を語ってほしいと思うのです。あくまで、同志の立場としてというのがポイントです。親も第三者に支えられて、不登校問題に立ち向かっていることを語れば、子どももいつか第三者の重要性に気づくのではないでしょうか。私の場合、親がそれを背中で見せてくれたような気がしています。(Q)

第三者について

 僕の場合、学校に行かなくなった当初、小学5年の秋から卒業まで、友達と会わなくなり、先生ともほとんど会わなくなり、いわゆる第三者と呼べる人との繋がりはぶっつりと切れました。この頃は知り合いと会いたくない気持ちが強くて、外に行く時にはいつも周りが気になるような状態でした、家族だけが話す相手。それでも他の誰かと話したいとも思わなかったですし、正直一人でいることがすごく楽で。自分のことを分かってもらう必要も、相手に気を遣わせることも無い、「自分はダメ人間なんだろうな」と思いながらも、やっぱり素直な気持ちはそうでした。

 中学に入り、いわゆる安定期に入りました。そのせいか、担任の先生が定期的に家に来てくれるようになり、ちょこちょこと会って、話すことが増えました。が、これも半分は親の手前。親が提示してくる物に対してすべてに蓋をするわけにもいかずに、いやいやながら会っていた部分がありました。でももう半分は、気にかけてもらっていることがうれしいという気持ちでした。先生には不登校をしているということで少なからず迷惑をかけているだろうに、わざわざ時間を割いてきてくれるということが。しかも、会ってもろくにしゃべらなかったのに。それは、申し訳なさや恥ずかしさを含んだ物だったのかもしれませんが、確かにうれしかったのを覚えています。

 それから、中学1年の夏休みから卒業まで、家庭教師の先生に来てもらっていました。週1回のペースで、30分しゃべって、30分英語や数学をしてという感じでした。これも親から薦められ、「ま、いいかな」なんていう軽い気持ちで始めたものでした。ただ、学校の先生に会うようになって、心の奥では第三者としゃべりたいなという気持ちが芽生えてきていたのかもしれません。と言いながら、家庭教師の先生とも、ほんとにうまくしゃべれませんでした。話を振ってもらえればしゃべれるんですが、自分から話題を作っていくことがどうしても出来ませんでした。これはやはり第三者としゃべるという行為にブランクがあったからでしょうか。ただ、それでも会話を引き出そうとしてもらえることが、やっぱりうれしかったんですよね。とにかくしゃべらなくて相当扱いにくいヤツだったと思います。この場にて謝罪します(笑)
 
 今思えばこの頃は、コミュニケーションの取り方がよく分からなくなってたんだと思います(まあ、今もですが)。だから、第三者と話すのが苦手だったのかもしれません。自己肯定感が無い中で自分のことを話すのも、聞かれるのも嫌だったので。それでも、面と向かってゆっくりと話をしてもらえるとうれしいし、楽しかったんです。それは、自分の家族ではない第三者という相手だからこそ、なおさらだったんだろうと思います。
 親も、僕に催促をしたりや急がせるようなことは言わないようにと先生達にstopをかけてくれていたらしいのです。隠れた立役者です。そのおかげで、無理矢理学校に連れて行かれそうになることもなく、ただ会いに来てくれてるんだなと思えました。会いに来てくれるっていうことだけで小さな自信になっていってたんだと思います。「あっ、無視されてないんだな。ちゃんと見てくれてるんだな」と。そういう気持ちを改めて感じられたのは、やっぱり良かったんだろうと思いますね。 (Naoki)

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