不登校の子を持つ親に寄り添って20年。親子支援ネットワーク♪あんだんて♪

通信35号(2009年1月発行)掲載「人目」

「人目」 通信35号(2009年1月発行)掲載

人目について~原付の効用~

 不登校になった当時、人目は特に気になりました。当初はひきこもりのような生活になりましたが、外に出たくない理由は、人に会いたくない、特に知り合いに会いたくないというのが大きな理由だったような気がします。つまりは、知り合いに会わなければ別に外には出れたと思います。ただ、このような不安は原付を買ってもらってから解消に向かいました。今回は、原付の効用とそこから見えてくる「人目」についての一般論を書きたいと思います。
 不登校当時、人目に関して一番ネックになったのは、近所です。近所なのだから知り合いが多いのは当たり前ですが、その近所が人目のもっとも気になる場所であり、自分のもっとも恐怖の場所なのです。遠くに出たくても、まず近所という恐怖の場所を通り過ぎなければならない。だから、自然と家にこもるという生活になってしまったような気がします。
近所が恐怖の場所でしたから、自分の最寄りのバス停留所から、最寄り駅である電車の駅に行くまでのバスはもっとも敬遠しました。駅からの電車は自分の学区でもないため、知り合いに会う確率は格段に低くなります。また、乗降客がかなりいるので、そっと人混みに紛れ込むことができます。しかし、バスはそうはいかない。一度乗ったら駅までは出ることができない。また、電車と違って車両を代わることもできない。私にとっては、駅まで行くのは地獄のようでした。
そのような状態の中で私を救ってくれたのが、原付です。私の不登校は15歳からだったのですが、16歳の誕生日が来た次の日には免許を取得しに行き、親に原付を購入してもらいました。そこからの生活は一変しました。外に出かけるためにフルフェイスのヘルメットをかぶって、ちょっと走らせれば、知り合いが多い近所を抜けることができるのです。私は服はだいたいユニクロで買っていたのですが、わざわざ誰もいないような亀岡のユニクロまで30分以上かけて行っていました。
実は未だにバスは好きになれません。ただ、乗れと言われれば乗れますし、昔ほどの恐怖は感じません。このようになっていったのは、原付で遠出して自由に行動を続けていくうちに、その自由に行動できる範囲が近所にまで及んできたといった感じです。
私が外出して自由を満喫できる度合いは、知り合いがいる可能性が高い場所との相関関係で決まっていました。近所ではおびえていましたが、全く見知らぬ場所ならばあまり人目は気にならない。全く気にならなかったといえばウソになりますが、近所に比べれば格段に自由に行動することができました。
私にとって、恐怖の対象となる「人目」とは私の知らない一般人の「人目」ではなく、知り合いの「人目」が主だったと思います。例えば、ひきこもりがちな子どもが近所以外だと、多少元気に行動しているように見える場合はあるのではないでしょうか。私的には原付がお勧めなのですが、年齢制限がある、危険があると言われているのでみなさんにお勧めすることはできません。そこで、そのような子どもには、車で外に連れ出してあげる機会を設けるという手段が考えられます。子どもの気持ちを尊重した上での話ですが、子どもの気が向いて車で外に出たときに、自由に行動できる範囲があることを感じたならば、多少外へ出る気も増えるものと思います。
一般人の人目が気になる人、逆に人目自体が気にならない人もいるでしょうから、私の方法が有効な場合は限定されるかもしれません。しかし、引きこもっている原因が主に知り合いの人目にある子どもには、車で外出する機会を作ってみるという手段で外への気持ちを作り出せる可能性があることだけ分かっていただければ幸いです。(Q)

人目とは?

 人目が気になる。不登校の時に初めて意識したことでした。「自分らしく」と簡単に言えても、実際は人のことが気になる。僕にとって意外としんどかったのがこれでした。何をするときも人がどう思うのかが、頭にあったからです。

 その中でも不登校初心者時代によく感じていたのが他人の視線の恐怖でした。「学校に行っていないって知ったら、人はどう思うんだろう」という不安。親には「べつにいいやん」」と言われていても、こっちとしてみれば良くない。だって、子どもが学校に行ってないなんておかしい、みんな行っているのに。特に休み始めは、そこに対する自分の考えと現状とのズレを自分でどう解釈して、受け入れていけばいいのか迷いがあったんだと思います。

 平日に外に出る機会があっても、面識のない人から「今日は学校無いの?」なんてきかれたらどうしようとか思うわけです。そんな不安もあって、実は自分なりのいいわけを考えたりしていました。例えば、「今日は学校の創立記念日だから休み」とか「朝は熱があったけど、下がったから買い物についてきた」みたいに。ジョークに近いところではあるんですけど、そういうのがないとしんどい時期がありました。
 家にいるときなんかでも、カーテンはもちろん、窓は常に閉めっぱなしでした。要は学校のある時間に家にいると悟られてはいけないと言うか、誰かに知られることにちょっと恐怖を感じていたんでしょうね。

 もうひとつ、密かに気にしていたのは、知りあいに会わないかどうかでした。他人の視線が気になっていた原因の1つはここにあったような気もします。もし学校の友達にあったら、どんな風にリアクションを取ればいいんだろう。休日でも外に出るのが少し怖かったのはこれが原因のような気もします。

 それから、人目というか、親の視線もよく伺ってましたね。やっぱり学校に行っていないことで親に対して背徳心があったせいか、親がどう思ってるのかいちいち気になっていました。親に迷惑をかけているのは重々承知していたので、親が何かをしようといったら、断れなかったですね。本音を話したこともあまり無かったのかも。「ほんとに面と向かって話せるようになったのは、結構最近なのかも」と今ふと思いました。

 と、休み始めた当初はかなり人目を気にして行動していたような気がします。ただ、不登校のキャリアを積めば積むほど、人目が気にしなくなってきたというか、親がいう「別にいいやん」の精神がなぜか芽生えてきました。
 なんですけど、時が経っても変わらないところは変わらず、高校に通い始めてからも、電車に乗ったり、コンビニに1人で入ったり、ましてや教室の中にいるのでさえ、息苦しかったりしました。と言っても、これも慣れで今はどれも普通になってしまっています(慣れるまでには結構時間がかかりましたが・・・)

 不登校初心者時代には、学校に行っていないことに自己嫌悪感があったんだろうし、そこから来る「人目」への恐怖心もあったんだと思います。もっとも、大学に通っている今だって、人目を気にすることはしょっちゅうで、昔よりはマシになったかな?程度です。たぶん消えることもないんだろうなとも思います。でも、全く気にしない人もいないのでは? とにかく、「人目」とは、めんどくさいヤツですが、今後とも付き合っていこうかと思っています。(Naoki)

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